友禅染めの魅力
「着物」という言葉を聞いて、人は何を思い浮かべるだろう。成人式の振袖や結婚式の花嫁姿だろうか。お正月番組に登場する芸能人や舞妓さんの華やかな衣装かもしれないし、近所のおばあちゃんがいつも着ている渋い色柄の和装かもしれない。
彩り豊かで豪華なものからシックでシンプルなものまで、多彩な文様を染めの技法でつくりだすのが「友禅」だ。京の扇絵師として活躍した宮﨑友禅斎の画風を元にしたことが名前の由来だという。江戸時代には、布に構図を下描きしたり、染料が混ざらないよう色と色の間に糊を置いて染め分けたりなど、それまでにあったさまざまな技法を集大成され「手描友禅」の礎が築かれたと伝わっている。その後、明治になって型紙を彫り起こして文様を染める「型友禅」が誕生し、友禅の着物はいっきに一般に広がったという。
現在「京友禅」「東京友禅」「加賀友禅」が日本の3大友禅に数えられているが、染め表した文様に金箔や刺繍をあしらう「京友禅」は、他産地に比べて豪華で優美な印象がある。また組合のホームページには、手描きと型染め以外にも板締めやローラー捺染などたくさんの技法が紹介されており、着る人たちのニーズに応えるように、京の染色文化が色とりどりに発展してきたことを伝えている。
多彩な技を持つ手描友禅職人
そんな京友禅は、京都において西陣織と並ぶ着物に関わる伝統工芸の華といっていい。代表的な工法である「手描友禅」では、図案の製作から染め作業、仕上げにいたるまで30を超える工程があり、それらは分業化されていることがほとんどで、それぞれに専門の職人がいる。悉皆屋(しっかいや)や染匠と呼ばれる人や会社が製作のプロデューサーを務め、反物を持ってそれぞれの職人の元を飛び回り、一枚の着物地へと完成させていく。
洛北にある自宅に工房を構える上仲正茂さんも、そんな手描友禅の世界で活躍する職人だ。だが、上仲さんが一味違うのは、分業化されている友禅染の工程をひとりで行えること。高校を卒業して就職した修業先が、一貫工程を手がける工房だったからだ。
「人間国宝の羽田登喜男先生が創立された羽田工房です。高校時代、工房の先輩が就職説明に来られて『友禅をやるなら一貫でできるほうがいい、やるならうちがいいよ』と熱弁されて、それに影響を受けて進路を決めました。実際仕事をやりだすと、やはり全部やりたくなってくるので、先輩の意見は正しかったなあ、と思います」
工房には、愛らしい鴇色の訪問着が飾ってある。結婚するときに上仲さんが奥様のためにつくったものだ。牡丹や菊、桔梗が咲き乱れる着物で、裾には白い夫婦の鳳凰が羽をゆらし、裾から肩まで背中を大胆に梅の枝が伸びている。
図案を描き、それを白生地に水で消える青花で写し、色が混じらないように糸目糊を置いて、それから色を挿す。反物を蒸して文様の色が定着したら文様全体を糊で伏せ、着物全体の地色を染め、また蒸す。作業のすべてを考えてみれば、途方もない仕事だ。
事実、この着物も勤め先での残業が終わってから自宅でコツコツと作業をすすめたので、完成まで1年弱かかったという。それにしても、夫となる人が一から自分のために手描友禅を染めてくれるなんて、なんてロマンティックなのだろう。物静かな上仲さんの内にひそむ情熱を、垣間見せてもらった気持ちになった。
積み重ねた基礎の力
職人さんだから当たり前なのかもしれないが、上仲さんはつくづく絵が上手い。やはり幼い頃から絵が好きで、小学生の頃から近所の教室で絵画を学んだという。高校は、京都市立の銅駝美術工芸高等学校の日本画科へ進学する。絵の仕事がしたいと思い、着物に絵を描く道に進もうと決めたからだった。
「絵の仕事といえば着物だと思ったんです。そんなにじっくりと見ていたわけではないのですが、やはり実家が着物や帯の金彩加工をしている影響が大きかったのだと思います」
京都で銅駝といえば、美術工芸のすぐれた学校として名高い。そもそもは明治13年に創立された京都府画学校が元となっていて、長い歴史のなか上村松篁や堂本印象、草間彌生など数多くの美術家や文化人を輩出している。上仲さんも銅駝での学びは、今も大きな力になっているという。
「京都市動物園に行って動物をスケッチしたのは、すごく役に立っていますね。オオアリクイが動物園を歩いているのを、どんどんスケッチしていって形や骨格を捉えていくのです。そうすると、『ああ、骨の仕組みってこうなってるんだなあ』と、頭に入るんですよ」
実際に見たことのない鳳凰などを生き生きと描けるのも、こうした動物描写の基礎が鍛えられているからこそなのだろう。
修行先の工房では13年を過ごした。ここでの学びで何よりありがたかったのは、「完成品を見ることができた」ことだという。
分業で作業をしていると自分が関わる部分には詳しくなっても、その先を想像するのは難しくなってしまう。だが分業だからこそ、先の工程が分かっているほうがよりよい仕事ができるのだ。たとえば下絵の柄を線だけで見ると雰囲気の良いデザインになっていても、色挿しの工程を考慮せずに糸目糊を置いてしまうと、色を挿したときにうまくぼかせない場合がある。そうすると、文様に柔らかみやふくらみがなくなってしまう。
「色を挿す場合も同じで、文様の色は地色との相性がとても大事なんです。それによって引き立てあったり、くすんで見えたりなど印象が変わりますから。修業先では色挿しも地染めもたくさん経験ができましたし、仕上がりを検証できたのは貴重な財産になりました。独立した今も当時の経験が役立っていると思います」
手描友禅を身近な存在に
こうした上仲さんの経験や幅広い技術は、独立してから始めたオリジナル作品の制作にも役立っている。華やかなぼかし染めのストールは、着物の地染めの技術が発揮されているし、ファブリックボードは下絵と染めの高い技術の結晶だ。同じファブリックボードでも、下地に金魚や鳳凰などの生き物を描き、上から透ける布に睡蓮や菊などの植物を描いたものを重ねた「霞がさね」のシリーズは、作品に奥行きがあり絵画ともシンプルなファブリックボードとも一味違う面白みがある。
さらに驚いたことに、上仲さんは革製品も製作する。革に染めるのはもちろんのことだが、鉄筆で下絵を写したり、仕立ても独自で行っているという。革に表現されても上仲さんらしい上品な作風はやはり健在で、好評を博している。
そしてもうひとつ人気なのが、工房やホテルのイベントで上仲さん自らが指導してくれる手描友禅のワークショップだろう。2020年はコロナの流行にともない、自宅で手描友禅に挑戦できるキットのネット販売もはじめた。修学旅行に行けなくなった学校からの問い合わせもあるという。
幅広い仕事に驚いていると
「日常に使えるもので手描友禅を身近に感じて欲しいと思っているんです。オーダーにも対応していますので、気軽に相談してもらえると嬉しいですね」と答えてくれた。上仲さんなら、本当になんでも形にしてくれそうだ。
上仲さんの兄は、家業を継いだ金彩職人の昭浩さんだ。友禅と金彩は分野が違うし、おふたりの性格も違うように見えるけれど、旺盛な挑戦力は兄弟に共通していると思う。上仲さんは物腰柔らかで静かな印象があるけれど、言葉の端々に芯の強さと美しさへの強いこだわりを感じる。そんな上仲さんだからこそ、どんな小さな作品にも見事な技術が惜しみなく尽くされているのだ。
手描友禅の真髄を
筆の使い方、ぼかし方など、染物である手描友禅は日本画とは違う技術がいる。そもそも布であり衣類なのだが、上仲さんの作品を拝見していると、まるで日本画を見ているような心地になる。
2019年にはオリンピック参加国の着物をつくる「イマジンワンワールドKIMONOプロジェクト」の依頼をうけて、アフリカのギニアビサウの着物をつくりあげた。情報の少ないなか手がかりをたどり、その国らしいモチーフを見つけて題材にこめた。色鮮やかなたくさんのフラミンゴ、たわわに実るカシューナッツ、サバンナモンキーやマナティもいる。それはもう着物を超えて雄大な一枚の絵画のようで、見るものの心を弾ませるのだ。
そして、それこそが手描友禅の魅力なのだと上仲さんはいう。
「やはり、身にまとう絵画であることが、手描友禅の真髄だと思うんです。それに『手描きの誂え』は、宮﨑友禅斎の時代から行われてきた友禅の原点でもあります。そのことをしっかり意識して、残していけるようにしたいですね」
着物や帯はもちろん、ファブリックボードや革小物まで、上仲さんが細やかにオーダーに対応してくれるのも、そうした思いから。手のなかに、衣裳に、あるいは住まいに。美しい絵画をひとつ手にいれて使う贅沢を、若き名匠はかなえてくれる。